ひろしま美術館

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック1864~1901

 ドガや印象派、日本の浮世絵版画などに影響を受けながら、独自の画境を開いたフランスの画家。世紀末のモンマルトルで活躍した。
 十字軍時代にまで遡る名門、南仏アルビのトゥールーズ伯爵家に生まれる。少年の頃よりデッサンを得意とし、1882年パリに出て、画家の道をめざす。最初モンマルトルにあった画塾でアカデミックな教育を受けるが、家賃が安いとの理由でモンマルトルにアトリエを構えて、むしろその界隈で自由奔放に生きる人々を正確な線描で鋭く描いた。また、キャバレーやカフェ、娼家に出入りするとともに、当時このモンマルトルに集まってきていた多くの芸術家たちとの交友のなかで、新しい芸術にも触れることとなった。その中には、ドガやベルナール、ゴッホ、ユトリロの母親であるヴァラドンなどがいる。1891年、頼まれて手がけた最初の石版画ポスター《ムーラン・ルージュのラ・グリュ》が評判となり、パリで一躍有名となる。以後、多くのポスター制作を依頼され、また本人も版画の楽しさを知って、亡くなるまでの10年間に約400点の版画と28点のポスターを制作した。
 ロートレックは、モンマルトルの画家と称される。また、その魅力は、なんといっても鋭い観察力に基づく人間描写であろう。夜の歓楽街を舞台に繰り広げられるパリの風俗の一断面とその哀歓を描写することで、人間の真実を暴き出した。「人物だけが存在するのであって、風景などはその構成要素にすぎない」という意味のことも述べている。自身その風俗に浸りながらも、冷徹な洞察力を失わなかったが、やはり不摂生な生活がたたって健康を害することになる。しだいに身体の衰えが顕著となり、母親の住むボルドーの東、シャトゥー・ド・マルロメで没。37歳。

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《アリスティド・ブリュアン》
 

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック
《アリスティド・ブリュアン》

1893年 グワッシュ・油彩,紙 81.2×105.0cm

Henri de TOULOUSE-LAUTREC
Aristide Bruant
gouache, oil, paper

鍔広帽子、黒マント、赤いマフラーは、モンマルトルの有名人、歌手であり詩人であり、キャバレーの経営者でもあるブリュアンのトレードマークであった。ロートレックは、ブリュアンのために4点のポスターを制作しており、これは3作目《彼のキャバレーでのアリスティド・ブリュアン》の油彩習作にあたる。

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《「ルイ13世風の椅子」のリフレイン(アリスティド・ブリュアンのキャバレーにて)》
 

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック
《「ルイ13世風の椅子」のリフレイン(アリスティド・ブリュアンのキャバレーにて)》

1886年 コンテ・油彩,紙 78.4×50.4cm

Henri de TOULOUSE-LAUTREC
Le Refrain de la chaise Louis ⅩⅢ au cabaret d'Aristide Bruant
conté, oil, paper

 

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